リリースの作法

  さて、バス釣りにおいてキャッチアンドリリースが当り前になったのは1970年代以降のことであるらしい。それ以前は食っちまっていたのである。

  そもそも、キャッチアンドリリースは何故行なわれるようになったのか?

  アメリカはバスの原産地である。このため、日本人はアメリカのフロリダ辺りにいけばでかいバスが無茶苦茶いっぱい釣れる!と思い込みがちである。ところが、これが意外なことに、アメリカではバスはぜんぜん釣れない魚であるらしいのである。

  これは、バスが大型肉食魚であるために、その生息数は概ね水域全体の魚類の1%程度になってしまうことに由来する。1940〜50年代にバスは釣りの対象魚としてダムなどに大量に放流され、その増加期には確かにウハウハに釣れたらしい。それが生態系の安定と共に次第に数を減じ、現在ではすっかり少なくなってしまった。それこそバスボートでも繰り出して探し回らねば釣れなくなってしまったのである。現在でも釣れているフィールドというのは、フィッシングリゾートとして成り立たせるために継続的に放流がなされている場所であり、まぁ、言ってしまえば河口湖のような場所だといえる。

  そんなわけで、アメリカでは1960〜70年代、それまでぼこすか釣れていたバスがだんだん釣れなくなっていった。釣れない魚を釣ろうとするほど草臥れることはない。根っからの太公望ならいざ知らず、単にレジャーの一つとしてバス釣りを楽しんでいた人々はバス釣りから離れて行った。

  困ったのは関係業界である。やはりレジャー系のアングラーの方が根っからの釣り師よりも数は多く、金になる。彼らをバス釣りに繋ぎ止めるにはバスを増やすしかないが、放流するほどの手間は掛けられない。どうするか?

  そこでひねり出されたのがキャッチアンドリリースである。釣られて持ち帰られる(つまり食われる)魚がリリースされれば、理屈で言えばバスが減らないことになる。繁殖するバスも増えるだろう。キャッチアンドイートされる魚の数を侮ってはいけない。日本での岩魚やヤマメを見るがよい。解禁初日にはあれほどいたものが、次の日にはきれいにいなくなっている。釣り人の胃袋の威力である。

  現在のアメリカではキャッチアンドリリースが義務づけられている湖もある。もしくはキーパーサイズ以下のバスはその場でリリースせねばならない場所も多い。もっとも、こういうフィールドではバスの新規放流やベイトフィッシュの放流も平行して行なわれていることが多く、その費用は遊魚券発行でまかなわれている。

  長い前振りで申し訳ないが、これがキャッチアンドリリースが生まれるまでの経緯である。実の所アメリカでは今でもバスは普通に食われている。上記の様にわざわざキャッチアンドリリースを義務づけるのは、そうでないと食われてしまうからに他ならない。恐らくバスの原産国だけにバスの料理法も確立されているのだろう。スライダーワームの開発者は家でバスをさばいている時に胃袋から出てくるベイトが大体4インチであったことからスライダーワームのサイズを4インチに決めたのだそうである。

  不思議なことに、日本ではキャッチアンドリリースはあっさり根付いた。今では逆にバスを食う事の方が珍しいくらいである。これはバスが全国に拡散した1980年代には既にキャッチアンドリリースの思想が生まれており、雑誌などで「バス釣りはキャッチアンドリリースが常識」と喧伝されたこと。バスが見慣れない魚であり、そもそも料理法がよく分からなかったこと(単に焼くだけでは美味くない)などが理由としてあげられるが、一番大きな理由には1980年代にバス釣りを始めたような世代と言うのは既に飽食の世代であり、釣った魚をわざわざ食わんでも、と思える幸せな世代であったことが挙げられるかと思う。実際、僕あたりも幼少時から釣りに親しんでいるが、自分が釣り上げた魚を持ち帰って食ったということはほとんど無い。そりゃぁ、僕だって真鯛を釣り上げれば今晩のおかずに相応しいと意気揚々と持ち帰るが、こ汚い水から釣り上げたフナやコイを晩飯にしたいとは思わない。

  今ではすっかりバスはリリースするものと決め付けられており、全国的なリリース禁止条例の広がりにもかかわらずアングラーがバスを活け〆している姿は見たことが無い。そもそもこのリリース禁止条例は「バスを釣ったら持ち帰って食うように」という法律なのだが、それならもうちょっと内水面の水をきれいにするように行政が努力して欲しいものである。野池のバスなんか病気が恐くて食えたものではない。

  大格闘の末バスをキャッチし、計測及び写真撮影。その後リリースする訳であるが、僕はこの瞬間が一番好きだ。散々苦労させてくれたバスの口から手を放し、バスが泳ぎ出すと、うれしいような勿体無いような切ない気分になる。「ありがとうよ、また大きくなったら釣られてなー」と声を掛けると「ふざけんなー!」とバスが尻尾で水を掛けてくる。そこにライバル同士の感情の交流が生まれるような気が、しなくも無い。

  厳しい現実を言えば、リリースしたバスのかなりの割合が釣られたことを原因とする何らかの要因によって死んでしまうものである。説によっても幅があるが、最少の説をとっても2割は死んでしまうらしい。多くは釣り上げられた際に付けられた外傷に細菌が感染してしまうことによる感染症が原因であるが、長く水からあげられたことによる体力の低下、釣り上げられたことによるストレスも立派な死因になるものである。特に弱い目とエラの損傷は致命的なものになることが多い。

  アングラーたるものリリースしたバスが死んでしまうことは恥だと考えるべきである。そのためにはバスの取り扱いには常に注意を払いたい。まず、バスに余計な外傷を与えないことである。フック傷はやむを得ないにしても、抜き上げ時にコンクリートなどに落してしまうことは避けたい。バスを持つ時は必ず顎を持つこと。身体を素手で直に持つと皮膚が低音火傷を起すからである。写真撮影などでバスを地面に置く時は焼けたコンクリートや土は避け、草や泥の上に寝かせるべきである。

  基本として、バスを釣ったら必要以上に長く水から上げず、速やかに水の中に戻すこと。バスが水から離れていることは人間が水の中に沈められている状況と同じであると知るべきである。特に体力の無い子バスは釣ったら早急にリリースしてあげよう。また、バスを放り投げてリリースするのはさけたほうが良い。ショックで気絶してそのまま呼吸が出来ずに死んでしまう可能性がある。そこまでいかなくてもバスに余計なストレスを与えることにもなる。

  リリースは当初散文的な理由から始まったものだとしても、現在ではそれ以上の意味を持つようになっていると思う。偽善的だと言う意見もあろうが、健闘を称えて釣ったバスを丁寧にリリースすると言う行為は、バス釣りを「スポーツ」と言うに相応しい行為に昇華させるさわやかな儀式だと思う。釣り上げたバスのリリースの仕方でそのアングラーの品位が計れてしまうのはその所為であろう。リリースの仕方が悪いアングラーはいくら腕が良くても尊敬されないものである。僕も腕は一向に上達しないので、せめてリリースの仕方は一人前になろうと精進しているのであります。




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