記録更新の思い出

  僕の最大魚記録は長らく初めて釣った40UPである42cmだった(「初めての40UP」参照)。

  この記録は一年に渡って破られなかった。それは、地元のフィールドでは40UPなど滅多に釣れないからである。ちなみに現在の所、地元での最高記録は05年5月に釣った46cmである。

  僕は限界を感じていた。「42cmが最高記録です」なんてあんまり大きな声では言えない。しかし、はっきり言って地元ではこれ以上のバスを釣る自信が無かった。

  そこで、僕は活路を見出すべく、04年5月、僕は仲間と遠征を敢行する事にした。結構大きなリザーバー。そこに6千円号を浮かべて自己記録に挑んだのである。

  結果はすぐに出た。午前中に44cmが釣れてあっさり自己記録が更新されたのである(このバスについては「無茶は良くない」参照の事)。「大きなバスを釣りたければ、それなりの場所に行かなければならない」ということを実感した瞬間だった。

  オールが折れてしまったので、その日はもう6千円号を出す事が出来なかった。そこで午後はポイントを移動してオカッパリを挑む事にした。季節は春。スポーニングを意識したバスがシャローに寄っている絶好のコンディションだった。

  キャナピー以下仲間がサイトフィッシングに走る中、サイトが苦手な僕はひたすらハードルアーを投げていた。岸際にプロップダーター80を投げると子バッチはまぁまぁ反応してくれた。しかし、でかい奴は釣れない。釣り進むと、前方に護岸で出来た大きな岬が現れた。護岸の岬はクランクベイトで何度もいい思いをした事がある。僕はラグゼカマー574にディープX200のスターダストシャッドをセットし、遠投した。

  一投目だった。岸際にルアーが着水しボトムを叩いてすぐ、ルアーが引っ手繰られたのである。

  次の瞬間、経験した事も無いような引きがロッドを襲った。MHのフレックスを持つラグゼカマー574が深々とぶち曲がり、引き倒された。一瞬魚種を疑ったが、次の瞬間バスがジャンプ。今まで見た事も無いようなサイズに血圧は急上昇。何とか魚を寄せてみると、これがもう「ばけもんか?」ちゅーような魚体。落ち着いてなどいられず、片手を肘まで水に差し入れて抱き抱えるようにランディング。

  午前のバスよりもたった1cm大きいだけの45cm。しかし、魚体、引き共に比べ物にならなかった。今思えば午前の44cmはアフタースポーンのバス、このバスはプリスポーンのバスだったのであろう。手に持った時その重さに心から震えた事を覚えている。

  このバスに味を占めた僕は次の週も同じ場所に遠征を敢行した。

  しかし、この日はトラブル続きだった。何しろ朝、えっちら歩いてやっとこボートを出したと思えば、いきなりコンクエスト200DCのクラッチが戻らなくなったのである。宥めてもすかしても叩いても駄目。結局また延々歩いて車に戻り、キャナピーのロッドを借りる羽目にあい成った。

  おまけに、釣れない上に掛ければばらす。釣れても40cm以下。なかなかいい釣りは続かないなぁ。ということで、この日はまったく諦めていた。

  最後の勝負を前週に良かったエリアに託す事にしたものの、やはり釣れない。この日は岸際に多数のネストが確認出来た。そのせいで食いが渋かったのだろうと思われる。僕は思い切って湖を押し渡り、対岸の護岸エリアを狙ってみる事にした。

  最後の願いを託せるのはやはり実績ルアー。前週45cmを獲得したX200のスターダストシャッド。護岸際にキャストし、潜らせながら水深3mエリアまでボトムノックさせるということを繰り返した。

  そして、その護岸が切れる直前。ボトムノックを始めたばかりのX200がいきなり動かなくなった。

  「?」なんじゃらほい?とりあえず竿を煽ってみると、どうもヒット臭い。リールを巻くと、バスがえら洗いをした。おお、バスだ。

  そのバスはあまり抵抗を見せなかった。素直に巻かれて来るので「小さいのか?」と思いつつ寄せてみると…。そこいたのは見た事も無いようなビッグバス!その瞬間僕は戦慄した。前週のバスよりも遥かに大きかったのである。

  ところがこいつは、僕と視線が交錯した瞬間物凄い勢いで突っ走り出した。借り物のフェインウィック・スティールホークがバットからぶち曲がり、スコーピオン1500のドラグが引き出された。僕のと違ってキャナピーのラインは細い事を思い出し、咄嗟にクラッチを切り親指ドラグ。それでも6000円号は引き摺られ、回転した。

それはもう必死だった。永遠とも思えるファイトの末、ようやくバスの顎に指を入れた時は喜ぶよりむしろほっとした。揚げてみるとやばいくらいの魚体。片手で持つのが困難なほどだった。心臓ばくばく状態で計測してみると47cm。湖の上に僕の雄叫びが響き渡った事は言うまでもない。

  その後、04年中に記録は49cmへ。05年には52cmにまで伸びるのであるが、この時の2週間連続記録更新の思い出は、未だに僕の脳裏に焼き付いている。




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