バス擁護論2


 世間がバスを非難する理由は、様々である。
 1、 バスは外来生物であり、そもそも日本にいなかった魚である。即ち、バスがいなければ食われなかったはずの日本の在来魚が減少しているのである。これは許し難い事である。
 2、 バスは違法放流によって増加した生物である。犯罪行為によって増加した生物など容認できない。
 3、 バスはバス釣りの対象魚である。バス釣り愛好家は不法侵入、不法投棄、違法駐車を始め、様々な不法行為を行う。バスがいなければバサーは存在せず、故にバスは駆除されるべきである。
 代表的な理由を上げるとこんな感じである。しかしながらこれらはそもそもバスそのものを非難する理由としてはあまりにも不当なものであると言わなければならない。
 1から見てみよう。この理屈は、バスが外来魚である事を問題視している。ここで重要なのはバスはその最初期の移入段階においては明らかに合法的に原産国であるアメリカから持ち込まれたということである。つまり、本来バスが外来魚であることは本来バス問題を考える上で既に議論が終わっている問題なのである。その証拠に、バスを輸入する事は今でも合法である。バスを自分の所有地の池や管理者の許可を得て放流する事も合法である(04年時点。05年施行の法令以降は違法になるがそれはここでの論点とは違うので考慮しない)。バスの移入が合法である限り、バスが在来魚をある程度減らしてしまう事は当然の結果であり、その事をもってバスを非難する事はフェアとは言えない。この場合、非難されるべきはバスの移入を認め、現在もバスのみならず外来生物の輸入に無頓着な行政であるべきであり、バスそのものを語る上ではこの問題は切り離して考えるべきである。
 2も同様である。生物を、所有者や管理者の許可を得ないで内水面に放流する事は確かに犯罪行為である。しかしながらその事はバスそのものの違法性を意味しない。なぜならこの場合、放流されるのがコイだろうと鮒だろうと、あるいはメダカだろうと犯罪になるからである。逆に言えば前述した通り、許可さえあればバスだろうがアリゲーターガーであろうがパイクだろうが、まったく違法行為ではない。つまり、この問題は放流した人間の犯罪性を意味するに過ぎず、バスそのものの害魚性を立証する事にはならないのである。
 3に至ってははっきり言ってバスを語る問題ですらない。バサーがマナーの向上に努める事は確かにバサーの義務である。不法侵入、不法投棄、違法駐車が犯罪である事もまったく事実である。しかしここには、バスそのものはまったく関係してこない。例えばへら釣り、鯉釣り、アユ釣り、海釣りなどにおいても釣り師のマナーの低下は深刻な問題となっている。あるいは山菜取り、きのこ狩りにおいても同様であり、更に言えばリサイクル法施行以降の山中への不法投棄も深刻な問題である。つまり、そこには日本人のモラルの低下が存在するだけであり、バスそのものはまったく関係が無い。ここをあえて結び付けてバスを語る事は日本人のモラルの低下という焦点をぼかしてしまう事になり兼ねず、全ての問題を解決する上でマイナスになりかねない。余談だが、バサーのマナーさえ良くなればバスが世間に受け容れられるといったバサーが抱き易い希望的観測ははっきり言って幻想に過ぎず、このような甘い考えをバサーが抱いている限りバスとバサーは世間から一方的な非難を浴び続ける事になるだろう。バサーは自らの存在の正しさをもっと論理的に証明し、世間にアピールしなければならない。
 この様にバスを非難する世論の根拠は実は非常に薄弱である。この薄弱な根拠に立脚して行われるバスの排斥活動をどうして容認する事が出来るだろうか?出来よう筈も無い。



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